交通ルール啓発ブログ

 F1舞台裏の喧騒・FIAvsFOTA、「独裁者モズレー退任」で決着?


© jonl1973
以前、当ブログでは「ホンダの撤退からみえたF1の暗雲」にて、F1競技の運営を統括するFIA(国際自動車連盟)会長マックス・R・モズレーとF1チームとの間に、F1運営が困難な程の軋轢が生じる旨の予測をしたが、奇しくも当方の懸念が現実のものになった。
マシン開発費の抑制策「バジェットキャップ制」の導入を巡ってFIAとFOTA(F1参戦チーム団体)との対立が激化し、FOTAは「F1サーカス」からの撤退と別の競技運営組織設立を仄めかしていたが、一転して両者はレギュレーション(競技規定)で合意し、モズレーは任期満了をもってFIA会長から退くと伝えられた。
本日は、時系列に「内紛劇」を振り返ってみる。

FIAは、各国の自動車振興団体・自動車競技運営団体を統率する非営利組織として1904年にパリで発足したことに始まる。現在は、世界125ヶ国・地域に所在する219の加盟団体があり、これらに所属する会員の総数は1億人を超える。
活動内容は自動車の技術向上とモータリゼーションの発展、更に加盟会員であるドライバーの権利保護や便宜を図ること、具体的にいえば「交通安全」・「移動の利便性(ロードサービス)」・「環境問題対策」・「自動車ユーザー保護」の活動を行う他に、世界で開催されるモータースポーツ運営の統括組織として「F1(フォーミュラ-ワン世界選手権)」・「WRC(世界ラリー選手権)」・「WTCC(世界ツーリングカー選手権)」等のレギュレーションの決定をおこなうことにある、と
FIAのHPには謳っている。

そこで、ここからはまず本稿の主題である「F1のレギュレーション改訂」に焦点を絞る。
モズレーがFIA会長に就任する1980年代後期以前のレギュレーション改訂も、年度ごとに排気量やマシン寸法・構造の変更が行われてはいた。しかし、FIA内でモズレーの発言力が強まって来ると、意図が不明で理解に苦しむレギュレーション改訂が目立つようになってきた。
一例として挙げると、1988年にホンダが開発したRA168Eターボエンジンを搭載したマクラーレンMP4/4がシーズン16戦中15勝を達成するや、FIAはまた方向転換を図る。1989年のシーズンから過給器付エンジンの使用を禁止することを決定したのだ。
更に1994年には、「アクティブサスペンション(ダンパー油圧電子制御システム)」「ライドハイトコントロール(車高制御システム)」はもとより、「トラクションコントロール」「アンチロックブレーキ(スリップ防止ブレーキ)」「逆位相式4ホイールステアリング(全輪操舵)」という既に量産車に採用されている技術さえも禁止した。前年に最先端技術を満載した「ウィリアムズFW15C」を駆るアラン・プロストが10戦途中で7勝を挙げる圧倒的な強さを示したからだ。

なぜ、FIA会長モズレーはこのような強権を発動できたのか?
その理由は「コンコルド協定」の存在である。これにはFIAの内部組織の歴史を紐解く必要がある。
1978年に、プライベートコンストラクターズのチームオーナーであったコーリン・チャップマン(ロータス)、ケン・ティレル(ティレル)らと結成したFOCA(F1コンストラクターズ協会の会長に、ブラバムオーナーであったバーニー・エクレストンが就任。エクレストンはF1興業や収益金の分配まで口を出し始める程の実力者となっていった。
(ちなみに、1969年にロータスF1マシンをこれまでのナショナルカラーからスポンサードカラーにするようチャップマンに進言したのは、当時ヨッヘン・リントのマネージメントを担当していたエクレストンである。)
FIAはもともと、下部組織である「FISA(国際自動車競技連盟)」にモータースポーツ統括部門の運営を委任していた。そのため、エクレストンはFISA会長ジャン・マリー・バレストルと対立、世にいう「大FISA-FOCA戦争」と呼ばれる紛争に発展していくことになる。プライベーターはFOCAを支持、対するFISAはフェラーリをはじめとするワークス勢が支持しており、F1運営を巡って分裂状態となる程に事態は悪化した。そのために1981年にパリのコンコルド広場近くに本部があったFIAの仲介で両者の間で話し合いがもたれ、F1の興業権をFOCAに、レース運営の権限はFISAにあることを確認する協定が締結した。これが「コンコルド協定」である。
この時のFOCA側の交渉人に顧問弁護士であったモズレーが務めていたことから、エクレストンから信頼されるようになり、エクレストンの力添えでFIAの世界モータースポーツ評議会(WMSC)役員に就任
(1989年シーズンにおいてドライバーズタイトルを争うアイルトン・セナとアラン・プロスト(共にマクラーレン・ホンダ)が起こした日本GPでの接触事故の審議において、プロストと同郷のモズレーは進路妨害によるセナの失格を強く進言している。)、1991年のFISA会長選に宿敵バレストルを破って当選すると同時にWMSC議長に就任。1993年にはイギリスのロイヤル・オートモービル・クラブ会長ジェフリー・ローズとFIA会長の座を巡って争い、FIA会長に選任された。

このように、モズレーはエクレストンの威光を得ながらF1を興行的に成功させるために、自動車の技術向上を図るよりも「競技」として上位と下位のチームに技術的な格差を減らす施策を講じてきたのである。

そして、2009年シーズンからのレギュレーション変更は、コンストラクターズにとって今後のF1に参画する意欲をそぐものであった。
第1弾は、環境面を配慮した「運動エネルギー回生システム・カーズ(Kinetic Energy-Recovery System・Kers)」の導入である。これは今話題の「ハイブリッドシステム」の半自動版であり、活用することがなかった制動時の運動エネルギー(後輪の2輪のみ)でモーターのジェネレーターを回すことによりバッテリーに蓄電する(電気式)、又はCVTによりフライホイールを制御すること(機械式)で出力に還元する。1周あたりの最大放出エネルギーは400kJ(キロジュール)、KERSシステムの出力60kW(約80馬力)が6.7秒間に亘ってオーバ-テイク時等に利用できるというものであるが、本体重量が30kg以上もありエンジンマウント下部に設置するためにマシン前後の重量バランスが崩れるというデメリットが生じてしまう。
なお、BMWのメカニックが2008年7月のヘレスサーキットでのテスト走行において感電するという事故が、同月にはイギリス・ミルトンキーンズのレッドブルのファクトリー内でKERSシステムが出火して、有毒ガスが発生し避難する騒ぎが起きており、信頼性・安全性が確立されていないとして装着義務は課されていない。(現在装着しているのは、フェラーリとマクラーレン・メルセデスの2チームのみ)
第2弾は、2010年シーズンからの「1シーズン全チーム統一エンジン」使用である。2008年10月にFIAから提示がなされて同年12月にはコスワーズ社製エンジンサプライヤーに決まったものの、フェラーリは「制度が実施されるならばF1から撤退する」と示唆。他のワークスチームが後に続く事が予想されたため、これも白紙に戻されている。その代わり、2010年から2012年まで同一規格エンジンの使用(開発の禁止)、2009年シーズン中に使用できるエンジンはドライバー1人につき8基まで、エンジン1基につき3レース使用、最大回転数は18,000rpmまで、等の規制が加えられた。
そしてモズレーが最も強硬に主張してきたのは、F1マシンの年間開発費の上限を定める「バジェットキャップ制」の導入である。当初、FIAは上限を3,300万ユーロ(およそ43億円)と公表したが各チームが反発 、最終的には4,500万ユーロ(およそ60億円)とし、賛同できないチームについては2010年のエントリーを認めないというものだった。(ドライバーへの報酬やFIAから科せられるペナルティー等は除く。また、エンジン開発費用については2010年はバジェットキャップから除外)


で、「ゴッド」の去就は?バーニー・エクレストン。
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今季限りでF1シーンから身を退くモズレーに較べ、御歳79歳のエクレストンは益々意気軒昂である。どうやら「勇退」をする気は更々ないらしい。

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