交通ルール啓発ブログ

 あれから40年・・・三億円事件

3億円事件犯モンタージュ写真【写真】あまりにも有名な、三億円事件犯人の「モンタージュ写真」 今からちょうど40年前の1968年(昭和43年)12月10日に東京都府中市で「現金輸送車強奪事件」、俗にいう三億円事件」が発生しました。

・「某参加型ネット百科事典」では「三億円強奪事件といわれることもあるが、事件のあった日本において、本件犯行は強盗罪には該当せず、窃盗罪となる。」などと書かれているが全くの大嘘である。
被害者の反抗を抑圧する手段として「ダイナマイトが爆発するそ、離れろ!」と威迫した態様からも「強盗罪」が成立し、現に警視庁府中署内には「三億円強奪事件特別捜査本部」の垂れ幕が掲げられていた。

三億円事件発生から遡ること8ヶ月前の昭和43年(1968年 - 以下、月日のみで記されているものは全てこの年。)4月25日、多摩農業協同組合(現・JAマインズ多磨支店)に新聞活字の切り張りで金150万円の支払いを要求する脅迫状が届き、その後も5月から7月までに4回(5月25日に300万円・6月14日に300万円・6月25日に400万円・7月25日に300万円)、要求をのまなければ放火や小学生誘拐をするとの脅迫状が届いていた(関連は不明であるが、6月20日に多磨墓地の小屋で放火、7月上旬には多摩農協そばで幼稚園児誘拐未遂事件が発生している)。
更に警視庁府中警察署多摩駐在所にも7月25日と8月21日に同様の脅迫状が届いている
そして、12月6日には日本信託銀行国分寺支店(かつて三菱東京UFJ銀行国分寺支店の向かい側にあった。旧日本信託銀行は現在三菱UFJ信託銀行に改組され、三菱東京UFJ銀行国分寺支店とは別であって今は存在しない。)にも、「(東京・巣鴨にある)国分寺支店長宅が爆破されたくなければ12月7日午後5時半までに、国分寺駅北口公衆電話ボックス付近に300万円を女子行員に持たせて立っていろ。」と書かれた爆破予告の脅迫状が届く

脅迫から4日後の12月10日、東芝府中工場の従業員に支給されるボーナスとしてジュラルミンケース3箱に分けられた現金3億円(正確には2億9430万7500円)を積み、行員4名を載せた日本信託銀行国分寺支店の現金輸送車日産セドリック30型が、午前9時15分に銀行を出発した。午前9時21分頃に府中刑務所北側(府中高校前)に差し掛かったところ、白バイに偽装し車用カバーを引きずったヤマハスポーツR1に乗る、"白バイ警察官"に扮した人物が現金輸送車を停め、「日本信託銀行の車ですね。巣鴨の支店長宅が爆破されたとの巣鴨署からの緊急連絡がありました。この輸送車にもダイナマイトが仕掛けられている可能性があるとの連絡があったので調べさせて下さい。」と告げた。(実際には支店長宅は爆破されていない。)
運転手は「昨日車のカギはちゃんとかけたからそんなものはないはずですが。」と答え、試しに行員らが車内を手さぐりで探したが不審物は発見されなかった。
すると、"警察官"は「じゃあ車の下かもしれない。」と車の前に廻り、行員らも車の周囲を見回していたところ、"警察官"が「あったぞ!ダイナマイトだ!」と、行員と運転手を車から退避するよう叫んだ。
その後白煙が上がり、"警察官"は「爆発するぞ!離れろ!」と叫ぶと現金輸送車の運転席に乗り込んで車を発進させた。「自分らを爆発の巻き添えに遭わせないために車を移動させるのだろう。」と思い込んでいた行員らは、遠ざかる現金輸送車を見届けながら現場に戻ってみると、白煙を上げていたのが発煙筒だったこと、バイクに付けられている「赤色警光灯」の取り付け位置が本物の白バイと異なることが判った途端に事の重大さに気付いて大騒ぎし、府中刑務所の監視所にいた看守が騒ぎに気付いて府中刑務所から110番に通報された。一方で、行員の一人が近くのガソリンスタンドの公衆電話に駆け込んで国分寺支店に「白バイ警官の停止命令を請けて降りたところ、そのまま警察官が乗って行った。」旨を連絡、副支店長が110番通報し警視庁通信司令室立川分室を通じて照会したが、"検問をした警察官"はいないことが判明して現金が強奪されたことが明らかになった。この状況は、他に現金輸送車の後方を軽トラックで走っていたプロパンガス店の店員、出勤途中で歩道にいた38歳女性、対向車線を走る航空自衛隊立川基地の小型トラック(ジープ)に乗っていた自衛隊員も目撃している。また、午前9時36分頃(緊急配備指令発令前)には警視庁第八方面交通機動隊の巡査部長が現場を通りかかり、行員に110番通報をさせている。

午前9時36分に緊急配備準備指令、同41分に緊急配備指令が離島を除く都内全域に発令。付近の府中街道・国分寺街道をはじめ、甲州街道・玉川通り・環八通りの主要幹線道路の他、日光街道や水戸街道・千葉街道に至るまで広範囲の検問体制が敷かれた。事件発生から約1時間50分後の午前10時18分、現場から1.3km北の国分寺市西元町の武蔵国分寺跡で、奪われた現金輸送車が乗り捨てられているのが見つかった(捜査資料にいう「第二現場」)。しかし、ジュラルミンケースは発見できなかった。周辺の聞き込みで現場に"偽白バイ隊員"とは異なる"白っぽい上着を着た男"を住民が目撃していたことから、事件発生当初は複数犯とみられていた。この見方は、途中で捜査主任に警視庁捜査一課平塚八兵衛警視が就任するまで捜査陣を拘束することになる。
また、国分寺支店から東芝府中工場に向かう途中にある府中市栄町の空地(現・東八道路栄町交番前交差点付近)で、ワイパーが作動したままの"緑色のトヨタカローラE10型が停まっているのを住民の通報で発見(捜査資料にいう「第三現場」)。地面に白バイを偽装する際に塗られたペンキ"と同じ成分の白の塗膜片も併せて発見された。 複数の住民が聴取したところ、カローラが停まる直前に同じ所には"シートをかぶせてエンジンをかけっぱなしにした見かけないオートバイ"が、遅くとも午前6時から停まっているのを複数の住民が目撃していたことから、警察は実行犯は"緑色カローラ"でこの場所に来て、予め留め置きしていた"白バイ"に乗り替えたと断定した。

事件発生から4か月後の昭和44年(1969年)4月9日、小金井市本町団地の駐車場に長期間緑色のシートをかぶせられた"紺色のトヨタカローラE10型"と車内に"ジュラルミンの空ケース"3個があるのを、トヨタ東京カローラ田無営業所のセールスマンが見つけて通報。警察はこの車が現金輸送車を乗り捨てられた場所に予め用意していたもので、現金輸送車からジュラルミンケースを移し替えて逃走した車両とみている。

警察の捜査で"白バイ"に偽装された"青色ヤマハスポーツR1"は11月19日に、逃走用に使われた"紺色カローラ"は12月5日に、白バイに引っ掛かった"スバル360用シート"は12月8日に、いずれも日野市平山団地で盗まれたもの、犯行前に追跡用として使われた"緑色カローラ"は11月30日に平山団地近くの民家で盗まれたもの、"逃走用紺色カローラ"にかけられていた"スバル1000用カバー"は9月10日に府中市晴見団地で盗まれていたもの、"白バイ"に付けられていた赤色警光灯はカーメイト社製の「自動車用後付け補助停止灯」であること、拡声器(トランジスタ・メガホン、東亜特殊電機製ER-303)はメーカーの修理伝票から東村山市の工場から盗まれたもの、塗装中に誤って拡声器に付着したと思われる"12月6日付サンケイ新聞13版11面生活欄"の紙片から、東京西部や埼玉県所沢市の図書館で捜査員が片っぱしに閲覧した結果、立川・武蔵小杉・西八王子・所沢市に配布された1万3487部のうちの1部であること、ダイナマイトに見せかけた手製発煙筒に巻きつけていた紙片は日本放送出版協会が発行した「電波科学・昭和43年7月号」付録の「テレビ診断図」であることが判明した。また、発見されたジュラルミンケースについていた泥を精密検査し、アリタソウの実やクリの種子があったことから現場から4キロ離れた恋ヶ窪の雑木林の土壌と推測、この場所でジュラルミンケースから現金を抜き取ったものと判断した。
また、"追跡用カローラ"が盗まれた11月30日午後7時40分に、平山団地から程近い日野市の八王子自動車教習所前に停めてあった"日産サニーB10型"が、同じ手口で盗みだされるところを所有者である教習所指導員が発見、未遂に終わっている。

警視庁は府中署に捜査本部を設置、17万1805人の警察官を動員し、捜査対象となった人は11万7950人にも上った。事情を聞かれた人には事件現場前にある府中高校の卒業生で、自動二輪免許を取得していた歌手の布施明やタレントの高田純次がいる。

12月18日には、警視庁捜査一課・府中署合同捜査本部がモンタージュ写真を公開した。当時の記者会見では三多摩地区の20~28歳の運転免許所持者の写真14万枚から、行員や目撃者の証言で犯人によく似た顔写真を基にしたと発表しているが、実際は無許可で日本刀を所持していたとして、銃砲刀剣類所持等取締法で逮捕された元自衛官の男性であり、しかも男性は事件から遡ること1年前に交通事故死していた。事件当時には実在しない人物の顔写真を敢えて使った理由と、その後の1974年12月に「昭和の名刑事」平塚八兵衛の一声でモンタージュ写真を破棄した理由は後述する。

1969年12月12日、毎日新聞が府中市に住む25歳の運転手が捜査線上に浮かんでいる旨を報道した。事実、住所及び職業柄から現場周辺の地理に明るく運転の技術に長けていたこと、血液型が脅迫状の切手に付着していた唾液と同じB型であること、そしてモンタージュ写真の男と酷似しているとの理由で捜査本部は重要参考人として内偵での対象捜査はしていた。しかし、マスコミ報道を知るや、捜査本部は別件の脅迫事件容疑で運転手に任意同行を促して府中署に連行し、十数時間の取り調べをおこなった。その後、新宿で運転手としての採用試験を受けていたとのアリバイが証明され翌日釈放される。この一件で日弁連は警察の「別件逮捕」を非難する声明を発表した。尚、元運転手は逮捕報道によって精神的な重圧を受けた末に2008年9月に自殺している。

捜査費用は総額9億9000万円、額面上被害額の3倍以上を費やしたが、1975年12月10日午前0時に強盗罪の公訴時効(平成17年改正前の刑事訴訟法250条3号の規定により、7年)が成立して捜査は終結した。
これほどの遺留品がありながらも犯人を特定するに至らなかった理由として、遺留品が盗まれた大量生産品であり特徴を指し示すものでなかったことに加え、捜査員が遺留品を無碍に扱い、指紋の他に検出できなかったためともいわれている。一例として日本信託銀行国分寺支店への脅迫文には唾液が付着していたことから血液型が判明しており、バイクに引っ掛かっていたシートの中にあったハンチング帽から汗や皮質を検出して、得られた血液型から同一人物かどうかが判明できた可能性があったものの、頭の大きさから身長を推測するために複数の捜査員が被り血液型が判別できなかったことから捜査員と鑑識員とが反目しあってしまい、一層真相解明を困難にさせたとの指摘もある。


【参考】
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage70.htm
http://yabusaka.moo.jp/sanokuen.htm
http://www.geocities.jp/showahistory/history05/43c.html
朝日新聞
読売新聞
毎日新聞
産経新聞


 

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B-C間の経路(市立第四中付近)は事件後の区画整理により一部異なります。


事件の新聞記事や題材となったドラマについては下記のブログが子細に紹介、事件の独自検証も掲載しています。
http://plaza.rakuten.co.jp/jamborg/


13日にフジテレビで「新証言!三億円事件40年目の謎を追え!」というドラマが放送されるそうです。フジテレビでは過去2度ドラマ化になっていますが(1991年・主演:織田裕二、2001年・主演:ビートたけし)、いずれも犯人側から描いた作品でした。今度は、あの「吉展ちゃん事件」の犯人を自供に追い込んだ「ケンカ八兵衛」・「オトシの八兵衛」こと平塚八兵衛警視を中心に、捜査側から見た「三億円事件」を描くようです。

で、注目すべきことがフジテレビの番組HPに描かれていました。

犯行に使われた偽白バイはヤマハ製ですが・・・本物の白バイはホンダ製。つまり、犯行に使われたバイクはそもそも存在しない白バイだったんです。

事件発生当時に取り締まりの第一線で使われていた白バイは、東京オリンピックのマラソン競技の先導車にも使われた"ホンダCP77"と"ホンダCB350P"の二車種しかありませんでした。ヤマハ初の白バイは1973年に採用された"ヤマハTX750"なんです。

【追記・2009.02.04】小生が「三億円事件」の現場を辿る「事件史探訪記~府中三億円事件」を、前編後編に分けて掲載しました。こちらもご覧下さい。


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 コメント(1件)

#1: さん ヒラ塚特兵衛 @ December 13, 2008 [REPLY]
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コメントと当方のブログのご紹介、ありがとうございます。
Googleマップを上手く活用なさってますね!(私には出来ません 笑)

今後ともよろしくお願いいたします!!

 是非コメントをお願いします。

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